両親の法要

父が32年前に亡くなり33回忌の法要を今年中にしなければならなかった。
そして母の納骨がまだのこともあり今回12月17日に一度に行うことに決め遠く宇和島の姉家族にも来てもらい義母や私の息子家族や次男が集まって青空の下お墓の前で皆で法要を無事行った。
法事というのは近しい親族のみだが資金はもとよりそれぞれ忙しい中、人に集まってもらいお寺や石材店との連絡や会食の場所も段取りし引き出物など・・・相当気を遣う大変な行事だ。
車の中でおしゃべりな孫娘が今日はおじいちゃんとおばあちゃんのための法事だからと言ったら正しくはひいじいちゃんひいばあちゃんと自分との関係をしきりときいていた。それこそが命題である。
息子の運転の横で私は子供の言うことが時々的を得て真実の言葉となって出ることがあるように思えることに内心感動。
しかしあまりの忙しさに行きしな用意していた「お布施」を台所の机の上に忘れてしまい途中で取りに帰ったというドジぶりはいつものことだ。

でもこれでやっと父も母もきっと喜んでくれていると思う。
父や母がいなければ私も生まれていないし子供や孫たちも存在しないのだ。
そんな当たり前のことを日常生活の中で忘れがちな私たち。
さらに光明寺のお坊さんの美声に心は満足な気持ちでいっぱいとなった。
今生きているのは父母のおかげ。感謝の気持ちを忘れないようにと思い、ここに書き記したい。晴天のあたたかな冬の一日。親戚の久々の集まりはとても楽しいものだった。木曽路御影店の会食は掘りごたつの貸し切りお部屋一人5000円でとっても美味しかった。
義母も寒い中あのお墓への階段も登りそして駐車場へと問題なく歩いてくれて気持ちよく参加してくれた。まだまだ達者である。
結局は法事とは自分たちへの幸せな贈り物なのだ。人を敬い祈ること・・先祖をまつること・・・。簡素にはなっていても行うことの意義は大いなるものがある。

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